まさに青天の霹靂だった、織田奈那と鈴本美愉の欅坂46からの卒業、佐藤詩織の一時活動休止、そして平手友梨奈グループ脱退の発表。その知らせをスマホの画面で目にした瞬間は、あまりの衝撃に言葉を失ってしまったが、それぞれが熟考した上で次なる一歩を選択したのだと思うにつれ、4人の決断および背中を押した欅のメンバーたちの気持ちを、ただただ尊重することが最適解ではないか、と考えられるようになってきた。常に〝今〟を刹那的に、そして精いっぱい正直に生きてきた彼女たちを語るにあたって、「欅はこうあるべきだ」「欅坂にはこうあってほしかった」と自らの願望やイメージを押しつけるのは、傲慢以外の何ものでもないのではないか──という考えを踏まえつつ、岐路に立っているからこそ、改めて真摯に欅坂46というグループを論じようと思う。
まずは、このほど欅から枝分かれして新たな道を往く3人について。とりわけ、欅坂46の象徴的存在と言っても過言ではなかった平手友梨奈がグループを離れると知った時の驚きは、言い表せないものがあった。なぜなら、彼女自身の言葉やメンバーたちの証言から、常々「欅坂で表現したいことと表現できること」の境界線をたゆたいながら、従来のグループアイドル像の枠組には収まらないチャレンジを続けてきたのを、B.L.T.は見届けてきたからだ。昨夏には、一緒に食事に行った小林由依が「殺陣の要素をライブに採りいれてみたい」というアイデアを平手が持っていたことを「blt graph.vol.47」のインタビューで明かしてくれたように、ティーンエイジャーながら人生を捧げるかのようにして作品やステージングに注力したストイシズムには、たびたび驚かされてきたのは言うまでもない。4年半という長くはないけれどもけっして短くはない年月の間に、真の意味でアイドル=偶像のイメージを一新した功績は、未来永劫語り継がれることだろう。
宵闇の渋谷駅前で「NOと言いなよ」と射抜くような目でアンチテーゼを掲げて驚きをもたらした「サイレントマジョリティー」の衝撃は、今なお褪せることがない。それでいてデビュー年にたびたび行われた取材時には年相応のチャーミングな一面を見せるというギャップが、何とも微笑ましかったことを思い出す。’17年9月末発売の創刊20周年記念号の表紙に欅坂46の全員に登場してもらったのだが、その撮影の数日前に行われた初の全国ツアー千秋楽アンコールで披露した〝血まみれの「不協和音」〟の感想を伝えた際、うれしそうにはにかんだ顔も忘れがたい。5枚目シングルの「風に吹かれても」以後は、作品やライブやラジオ、はたまたメンバーのインタビューを通じて彼女の動向や言動を知り、表現者としての感性を研ぎ住ませつつも、以前と変わらず無邪気なエピソードを伝え聞いて、何だかホッとしたものだった。
結果的には欅坂46の平手友梨奈としてラスト・パフォーマンスとなった「第73回NHK紅白歌合戦」での〝シン(=真/新)・不協和音〟は、イントロからユラユラと立ち上がってから拳を前に突き出すまでの緩急の付け方、マイクが「ボコッ」と音を拾うほどの勢いで倒れ込んだCメロでの転倒、そしてラスサビ前に涙まじりの声で放った「僕は嫌だ!」の破壊力……と、どの場面もひときわ印象深い。特にコーダ直前、高笑いするかのごとく不敵な表情で天を仰ぎ、「僕を倒してから行けよ」と歌いあげた一連のシーンは、一生忘れることがないだろう。それを「紅白」という日本中が見つめる晴れ舞台でやってのけた平手は、やはり稀代のパフォーマーだったと認めざるを得ない。掛け値なしに、唯一無二であった。
そして……フォーメーションやポジショニングにおいて平手の隣や同列に立つことが多かった鈴本美愉の卒業に対しても、正直なところ寂しさを禁じ得ない。平手の鬼気迫る表現力とは異なるダイナミズムが魅力的だったダンス・パフォーマンスは、紛れもなく欅坂46の〝華〟だったわけで、もう見られないのだなと思うとどうしても感傷的になってしまう。なにしろ、平手とは語らずとも通じ合っている感じが漂っていて、2人が並ぶだけで絵になる強さがあった。実際には、鈴本が表紙と巻頭を飾った「blt graph.vol.34」(結果的には、彼女が欅坂のメンバーとして活動した期間における唯一のソロ表紙となった)の10000字インタビューでも語ってくれたように、大事なことは平手と話し合い、少なくとも鈴本全幅の信頼を置いていたことが明らかにされている。「せめて、両者のどちらかだけでもグループに残ってくれたら……」と望む声も多いことだろう。しかし、居並んだ時にこそ最高の輝きを放つ2人だったことを考えれば、ともに同じタイミングで欅坂を離れることが、かえって最良の選択だったように思えなくもなかったりする。願わくば、鈴本にはもう一度ロングインタビューで胸の内を聞いてみたかったという思いもあるが、言葉よりも生きざまで雄弁に語る彼女のことだから、どんな道を往くにしてもフィロソフィーを貫くに違いない。
その鈴本をはじめ、欅坂のメンバーたちの〝精神安定剤〟的存在だった織田奈那が卒業するタイミングが重なったというのも、グループが次なるステージへと進むためには「今」しかなかったのかもしれない、と思うところがある。かつて、鈴本がB.L.T.のインタビューで「欅(の一期生)は1人ひとりが誰かを必要としているところがある」と話したように、運命共同体の意識の強さが、ある種〝諸刃の剣〟にもなっていたからだ。一期生21人の連帯力は、一転すると脆さや危うさをともなうものだったが(同時に、それが魅力でもあったのだが)、どのメンバーからも「心のオアシス」と慕われていたのが、ほかならない織田であった。「だに(=織田)が怒ったところを見たことがない」とメンバーたちが話したように、特有の大らかさでたびたびB.L.T.の取材でも場を和ませてくれたものだった。……と、メンバーにとっては安心感をもたらす存在だった彼女だが、1人の人間として先の長き道のりを見据えての決断だったのだろう。それを受け入れたメンバーたちの愛と優しさも含めて、何人たりとも否定することなどできるはずもない。
大学で専攻してきた美術の勉強をしたいと望み、一時活動を休止する決断を下した佐藤詩織に対しても同様だ。バレエで培われたしなやかにして優雅なダンスはもちろん、一度笑いのツボに入るとひたすら笑い続ける〝ゲラ〟キャラクターがしばらく見られなくなるのは寂しいが、欅坂という居場所を現メンバーたちが守る限り、さらに表現力を増して戻ってくることを信じて待とうと思う。
言うならば、今回の4人は欅の木から「枝分かれ」したようなもの。幹たるグループの軸をなすメンバーたちはすでに、春に向けて新たな希望を芽吹かせ、力強く青々とした葉を茂らせようとしている。欅はまだ朽ちてなどいない。むしろ、この厳しい冬から次のドラマが始まるのだ。
彼女たちの歩みを見届け、これからも変わらずに追い続けるB.L.T.は、それぞれの道を行く織田奈那、佐藤詩織、鈴本美愉、平手友梨奈と欅坂46のメンバーたちに、今こそこの一節を僭越ながら捧げたい。
〝昨日と違った景色よ 生きるとは変わること 君はセゾン──〟
text=平田真人